ネパールの朝日に宝を見た | ミッシェル・グリーン

ネパールの朝日に宝を見た

カテゴリー:日記
2015年7月2日

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(ちょっと前の記事をアップ)

どこにでもある飲み会に見えると思います。この写真はネパサコ会の飲み会の様子です。

とても楽しく、そして日本ではよく見られるような様子の飲み会です。この日も、ビールで程よく酔い、写真に写っている人たちと、最近あったこと、趣味のこと、今朝ニュースであったこと、仕事のこと、将来のこと、そして共通の思い出話に花咲かせました。こういった飲み会を、このページを読んでくださっている方々に、自分にもおぼえがあるという方は、結構多いのではないでしょうか?

そして、おぼえのある方々とは、そうした気の合う友人たちとの飲み会は、とても楽しい物だという気持ちを共有できると思います。その友人と深い絆で結ばれていればいるほど、同じお酒でも見違えるような名酒へと変わります。

私も、この日はとても楽しい時間をすごせました。お酒や料理が美味しかったのもありますが、なにより、ネパサコ会のメンバーと飲むのが楽しかったのです。というのも、このメンバーとは、とても深い絆で結ばれているからです。

実は、このメンバーは生きるか死ぬか、生死の境界での旅を共にしたメンバーでもあるからです。あれは私たちがネパールに旅をしたときのことでした。

 

ネパールへの旅

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この写真はネパサコ会でネパールへ行った時の写真です。旅の目的は、ペンやノートなど、学習雑貨をネパールの子どもたちに渡すこと。このような雑貨が手に入りにくい山奥の村では、生活必需品が優先され、学習雑貨も必要最小限。ですが、黒えんぴつと紙だけでは見つけられない発見、感じることのできない体験があるということを、私たちは子供の時の経験から知っています。この活動は、ネパールの子供たちにも、そういう経験をして欲しいというものでした。

写真では、それぞれのバッグにペンやノートを振り分けているところです。

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空港での様子です。写真ではみんな笑っていますが、厳重な荷物検査に何度も引っかかり辟易していました。「こんなに沢山のペンとノートを何に使うんだ?」「ビジネスに来たんじゃないのか?」と、思われたようです。その度に、メンバーの寺田先生が検査官に、過去にも、子供たちにペンやノートを配った写真を見せて、なんのために来たのかを何度も何度も説明されておりました。それで、ようやく納得してもらえ、私たちはネパールへと入国したのです。

 

山間の村へ、徒歩で

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そして私たちは、目的地である山間の村を目指して、文字通り歩き出しました。これから向かうところは、山道を登った先にあります。レンタカーを借りるわけにもいきません。それに、異国の街を歩いて行くというのは、自動車やバスの窓から見るとは違った、景色を体験できます。

観光客のいない、その国の人々が利用する下町の通りを歩き、町を漂う異国の香りを感じ、路地に構える地元の商店を横目に、ネパール語の喧噪を耳に聞く。歩いているだけで、海外を旅する醍醐味を味わえている気がして、とてもワクワクとしました。

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町を離れ、山を登ります。日本から5243キロメートルも離れていると、同じアジアの山道でも植生がまるで違うため、山の景色もずいぶんと異なります。海外の山道を歩くのも興味深い体験です。…ですが本当に険しい山道でした。日本のようにしっかりと整備されている道ではなく、重たく大切な荷物も抱えており、最近運動不足だったせいもあるのか、ひぃひぃと息が上がって大変でした。

なお、私は…

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撮影頑張ってます。写真を事前に撮っておきました。山道もちゃんと歩いて同行していますよ。
山道では、あらためて自分の写真を取れるほど元気ではなかったので…(笑)

 

子供たちの笑顔に癒やされる

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そして、無事一つ目の村へ到着。

子供たちにペンや色鉛筆を渡すと嬉しそうに笑顔を見せてくれました。やはり山奥ではペンや色鉛筆はなかなか手に入りにくいようで、配りだしたら村中から子供たちが集まり、すぐにあたりは子供たちの声でにぎやかになりました。

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嬉しそうに笑ってくれる子、はにかみながらも受け取ったペンをギュッと握りしめてくれる子、素直にはしゃぐ子もいれば、私たちにちょっと慣れない様子の子もいました。ですが、私たちにか友達同士でかの違いはあれど、みんな笑顔を浮かべていました。

山道での疲れも忘れ、来て良かったなと思える一時でした。

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みんなで撮影。カメラの方を向いていない子も結構…というより私もそうですが、この写真の向こうに笑い声があったことは伝わると思います。

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日本から遠く離れたネパールですが、子供の悩みは万国共通のようです。この緑の服を着た子は、打ち解けてくれてずいぶん親しくなってくれました。この子に「ペンとノートで何をするの?」と聞いてみたところ、「宿題をするの」と、勉強の話や、どんな宿題があるのか、どれだけ大変かなどを話してくれます。

女の子の友達も集まってきて、絵を描いたり、学校の話で盛り上がったり、いろいろなことをお話しました。こうしてお互いに肩の力を抜いて話していると、持ってきたペンとノートのことを、とても喜んでいることが伝わってきて、山道を歩いてきた疲れが癒やされていく気さえしました。

この時まで、旅は順調に進んでいたのです。そう、この時までは。

 

遭難! 直面する命の危機

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この写真の時点ではお昼の12時頃でした。朝のうちに3時間ほど歩いてきた私たちにとって、また歩き出すことは、少し気が重いことではありました。ですが子供たちの喜ぶ顔や笑い声のパワーに、私たちのパワーも充電され、山道をずんずんと進んでいきます。

ガイドさんが言うには、大体3時間くらいで到着するそうで、あと3~4時間くらいなら頑張れる!と、意気揚々とまではいきませんが、時折笑顔を浮かべる余裕もある状態でした。その時は。

「3時間くらいで着くよ」と言われていたのですが、4時間歩いてもいっこうに到着する気配はありません。「あと1時間、あと1時間」とガイドさんは繰り返します。不審に思いながらも、ガイドさんの後を着いて行く以外に道はなく、だんだんと薄暗くなっていく山道を歩き続けました。

ギャアギャアと鳥の鳴き声が聞こえ、がさり茂みを何かが動く音がしました。昼間であれば気に止めないような物音が、次第に夕闇に染まりつつある山道では恐ろしく感じました。

そして、ついにガイドさんが諦めたように告白しました。「道に迷った」と。

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この写真は午後18時。標高2200メートルの山奥で、私たちは自分たちが遭難したことを認め、野宿する他ないと決意したときの写真です。

もちろん、野宿することを想定した装備を持ってきているわけではありません。ただでさえ子供たちに渡すペンとノートで荷物は膨れ上がっているのに、必要のないキャンプセットを持ち運ぶ余裕なんてあるはずもありません。ですが、福田先生はこのような時のために非常食を完備されており、この危機的状況も、目の前の飢えという問題からは救われることができました。本当にありがたいことです。

この頃、ネパールはまだ寒気が感じられる季節です。日中、山道を歩いていた時は、半袖でいるほど暑かったのですが、暗くなってくるとすぐに温度が下がり、汗も引き、心まで冷え込みそうな冷気が襲ってきました。各々は持ってきた服を着て、厚着して寒さに備えました。

遭難した。服を着ても、ぞくりと背中に冷たいものが走ります。みんな、言葉には出しませんでしたが、このとき、全員が命の危機に陥っていることを理解していました。

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自分たちがどこにいるのかすら分からない状況で、視界も悪くなりつつありましたが、奇跡的にも小屋が見つかりました。キャンプ場にあるようなログハウスのような洒落たものではなく、窓も、それどころか部屋と外とを区切る最低限の敷居となるドアすら無いものでした。そんな小屋でも、遭難していたその時の私たちにとっては、暗闇に光がさしたかのように思えました。雨や風、そして恐ろしい熊や虎といった野生動物から距離を置くことのできる建物というものが、どれほどありがたいか、この時に強く実感しました。

この写真は、その小屋の中で火をおこした時のものです。木は濡れているためなかなか火が付きませんでした。「これを燃やすしか無い」そういって取り出されたのは子供たちに配る予定だったノート。大切なものでしたが命には代えられません。ノートを破り、燃やして火を焚きました。

火は人種、地域すら問わずに、様々な場所で特別なものとして見られてきました。日本でも、篝火は(かがりび)は特別な儀式として見られています。その理由が、こうして文明から切り離された状況で焚き火を起こしたことで、なぜだか分かったような気がしました。赤々と燃える炎は、自然の中で途方にくれていた私たちの心に、温かい安心感を与えてくれていました。

 

日中半袖だったのが嘘のように、山間のネパールの夜は冷えます。私たちは焚き火を囲み、丸くなっていました。暗い森の奥から、時折ガサガサと草木が揺れる音が聞こえます。闇の中を見つめていると、見たこともない怪物がうごめいている気すらしました。実際、熊、虎などこの山にいると言われている猛獣たちはどれも致命的に恐ろしいものです。文明から離れた自然の中で、私たちは強い恐怖を感じていました。

 

そんな中で、私たちは『ネパールから日本に帰ったら、まず何をする?』という質問を一人ずつ答えました。押しつぶされそうな恐怖を紛らわすためだったのだと思います。
「子供に会いたい」
「美味しいご飯を食べたい」
当たり前の幸せをみんな答えました。日本でなら簡単に享受できる幸せです。遭難し、命の危機にあったことで、家族の暖かさとそこに帰らなくてはいけないという使命感、飢えること無くお腹いっぱいに食べることのできる幸せ、私たちはそんな日本では当たり前に手に入れられる近代的な生活が、どれだけ大切なのかを直に感じていました。

 

「絶対に朝まで火は消させへん」

夜18時に小屋に入り、21時になったときに、寺田先生は「絶対に朝まで火は消させへん。」と、おっしゃいました。そして疲れているのにもかかわらず言葉通り、翌朝の6時までずっと火の番をされていました。先生のおかげで火は消えず、私たちは凍えることもなく、朝日を迎えることができました。

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朝を迎えて、私たちはひとまずホッとしました。周囲が見えない恐怖から解放され、暗闇から現れた猛獣に成すすべなく襲われるという事態は避ける事ができました。そして、誰も取り乱すこともなく、お互いを気遣って夜を乗り越えた仲間たちの心の強さがとても頼もしく感じました。

ですが、遭難しているという状況は変わりません。

こんな小屋でも、住めば都

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明るくなり、立ち去るときになると、すごいところに泊まっていたなと思います。日本のキャンプ場で、アウトドアの時にここに泊まるなんて言ったら、きっとみんな怒り出すことでしょう。

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外から見たらこういうところです。寝泊まりするところというより薪小屋や倉庫といった様子です。

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扉もない小屋の中、ヒルもいてそうとうやられてしまいました。それでも、この小屋が見つからなかったらと思うとゾッとします。この小屋で過ごすことができて本当に良かったと思います。

朝、私たちを迎えてくれたのは、すごくきれいな景色でした

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朝を迎えられることにこれだけ、心から感謝したことは、発達した私たちの世界の中にいたら感じられない体験だったでしょう。そして、そうした気持ちの中で眺める、ネパールの山々から登る朝日は、心が動くような、とてもきれいな光景でした。

遭難している状況すら忘れて、私はその一時を堪能していました。

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標高2200メートルの山間から眺める朝。旅行ツアーの目玉にもなるのではないでしょうか。明るくなるにつれて、その姿は変わっていきました。
こうして遭難し、命の危機を感じているのもネパールの自然の一面です。ですが朝日に感動し、昨日、歩き通しだった疲れと、野宿で眠りが浅かった疲れと、そして空腹にどこに進めばいいか分からないという絶望感、そうしたものを忘れさせ、また歩き出す気力を与えてくれたのも、ネパールの自然が見せてくれた美しい自然が与えてくれたものでした。

私たちは、その小屋をあとにし、ガイドさんと一緒に道を進みました。

それから歩くこと3時間。私たちは、運良く1日2回しか通らない車に遭遇することができ、山の麓まで降りることができました。私たちは、生きて自分たちの世界に戻ってくることができたのです。

 

満天の星空、瞬く蛍、美しい朝日、そして『それを共にした仲間』

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命の危険を感じた旅でしたが。ネパールの町を歩いた体験、ペンとノートを受け取った子供たちの喜ぶ笑顔は素晴らしいものでした。遭難した状況でも、夜に見た夜の森を瞬く蛍、空に広がる満点の星空、そして恐ろしい夜を乗り越えた私たちを迎えてくれたネパールの朝日。今思い出しても、それは良い思い出だと言い切ることができるものです。

そしてこの旅で見つけたものは、それだけではありません。朝までみんなが温まるようにと火を焚いた寺田先生、疲れているはずの朝に記念撮影と綺麗な山とみんなを撮影やふとしたときに気を遣って頂いて一言をくださる寺田先生のお父様、みんなを励まし体調を気遣われた樋上先生、緊急時の食糧を完備されみんなのいざというときに備えて頂いた福田先生、寒くなり時間を過ごさなければならないときにみんなが元気になる遊び的な質問をくれたゆきかちゃん。

遭難という絶望的な状況にありながら、ネパサコ会の仲間たちはみんな、素晴らしい人間性を発揮し、利己的になることもなく、遭難を乗り越えました。そのような尊敬すべき、そして信頼できる友人たちと一生の思い出となる体験を共有できたということが、この旅で見つけた…というより再発見した一番の宝です。

 

私たちは、山道では迷いましたが仲間と進む人生の一本道では進路通りでした

ネパサコ会で集まったメンバーはこのような九死に一生の体験、生死と境界での旅を共にしたメンバーです。私たちは遭難し、道に迷いました。ですが、ネパサコ会がやってきたこと、これからやること、そしてネパサコ会の仲間たちとの絆は、ネパールへ向かう最初から持っていて、そしてネパールから帰った後もそのまま持っているものでした。私たちは人生という旅では迷うこと無く、私たちの望んだ進むべき一本道をまっすぐ歩いてきています。

飲み会でのお話もすごく盛り上がりました。あの時の思い出話は、誰の心にも傷としては残っておらず、誰も迷っていませんでした。ノートを子供たちに配ること、学校を作られること、私たちはその過程がそれ以上に大切なことだということを感じながら飲み会では、笑顔が絶えず、そして私も笑顔で美味しいお酒を飲み、みんなと同じ様に笑っていました。

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